今から小説家になるのは遅い?いえいえ、そんな事はありません。これからの時代、ケータイ小説の作家さんはどんどん増えてくるでしょう。

4月 23 2015

大人のための自由時間

大人になるとありのままの自分でいることは難しく、頑張らないという選択がなかなか出来なくなってしまいます。ひとつひとつに対する責任の重さは増えていきますし、反比例するように自分の為の自由な時間というものは少なくなっていってしまいます。これは仕方のないことだと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、そういう大人だからこそ、時間の使い方は上手にしていって欲しいと思うのです。
例えば、私の友人のひとりは中学生の頃お菓子作りが得意で、休みの日や学校から早く帰った時などにはよくお菓子を作っていたのだそうですが、社会人になってからはほとんどお菓子を作らなくなってしまったのだそうです。そういう時間もないし、心に余裕もないのだとか。
私も昔から本を読むことが大好きだったのですが、やはり社会人になってからは読書量が少なくなってきているように思います。ある仕事に就いていたときは、本なんかほとんど読まないような状態でした。疲労と、なんとも言えない切迫感のようなものにいつも追われ、優雅に読書という気分になれないような暗黒時代もあったものです。
ですが、やはりそういう時だからこそ、純粋に自分に充てる時間というものがとても大事になってくるのではないでしょうか。大人だって楽しむべきなのです。そんな風に思う今日この頃なのでした。

4月 08 2015

読めない文庫本

私はいつも出掛ける際、読む読まないに関わらず、必ず鞄の中に文庫本を入れています。いつからこういう習慣が身に付いたのかはよく分かりませんが、もう随分このスタイルは変わっていません。無くても困るという訳ではありませんが、なんとなくいつも持ち歩いています。
ですが、実際出掛けた先でこの文庫本を開くかと聞かれると実はそうでもなく、例えば美容室や歯医者さんなどの待ち合い時間には、そこに準備されてある雑誌をパラパラめくって過ごす方が多いのです。
何故かということを少し考えてみたのですが、どうやら私の場合、「読んでいる本の表紙を見られるのが恥ずかしい」という理由からのような気がします。向かいに座った誰かが本を読んでいたとしたら、無意識にその本のタイトルを探ろうとしてしまうのではないでしょうか。少なくとも、本大好き人間の私はそうです。
なら、ブックカバーを使えばいいのかもしれませんが、私のこだわりとしてブックカバーは使用しないようにしているので、そうなるとコソコソオドオドしながら読むか、読むことを諦めるという選択をしてしまうという訳です。それでも必ず文庫本を持ち歩いてしまうというところに、若干の矛盾を感じないでもないのですが。
つまるところ、読書はやっぱりリラックス出来る空間でするのが一番だということですね。

3月 24 2015

手作りの作品を手にとってみる

手作りの作品を広めているクリエイターさんが増えている昨今、様々な手作りの作品を目にすることがあります。手作りと言っても非常に完成度の高い作品がたくさん生み出されており、独特の温もりと他との差別化という工夫が凝らされた作品がたくさんあるようです。
つい先日も、本屋さんとカフェが併設された珍しいお店へいってみました。そのカフェには、そういったクリエイターさんの作品も販売しているのですが、中でも特に目を引いた作品が、布製のブックカバーです。使用してある生地の柄がどれも私の好みにピッタリハマり、思わず手にとってじっくり見てしまいました。 開くと中にはしおりもついているというところが素敵です。サイズも、文庫本サイズにハードカバーサイズと揃ってあり、思わず購入したくなる可愛らしさでした。
また、他にも個性豊かなクリエイターさんの作品が陳列されてあり、陶器の小物や器、編み込み小物、絵ハガキなどなど…見ているだけで楽しい気分になれます。
既製品の良さとはまた違う味わい深さが感じられるところが、手作りの作品の良いところだと思います。個性豊か、才能豊かな作家さんの作品を見るだけでも不思議と満足感、心の充足感のようなものを感じることが出来るような気がするのです。

3月 08 2015

涙脆くなることとは

歳を重ねる毎に、年々涙もろくなっているような気がします。例えば、子供向けのアニメを観てもキャラクターが涙する場面でつい貰い泣きしてしまいますし、ヒューマンドラマはもちろんのこと、実話を元にした再現VTRでは効果テキメンです。特に動物が登場するような内容だと必ずと言っていいほど涙がこぼれてしまいます。
漫画本や小説を読んでもそうです。最近はシリーズものの小説にハマっているのですが、内容が昔むかしの中国での戦をテーマにしたフィクションなので、何人もの登場人物が戦って死んでいってしまいます。10巻以上続くシリーズも中盤に差し掛かったのですが、これまでに何人ものお気に入りキャラが命を落としてしまっています。すっかり感情移入してしまっており、まるで自分の恋人か父親のような気分高まっているのですから、そのキャラクターたちが一人また一人と死んでいってしまう度にぐっと込み上げてくるものがあります。
振り返ってみても、若い頃は涙腺が固く、なかなか涙を見せない頑固者と両親から言われていた私が、随分と丸くなったものだなぁとついしみじみ思ってしまいます。ですが、それだけ経験を積み重ねてきた結果が今の自分であり、どんな人もこうして心が豊かになっていくのだから、涙脆くなること=弱くなることではないと感じています。

2月 21 2015

仲間と趣味を見つけよう

先日、幼馴染みと久しぶりに会ってお茶を飲んだのですが、「何か新しい挑戦がしたい、趣味を見つけたい!」と盛り上がりました。私自身は、読書に小物作りにと、それなりに趣味と言えるものがあるのですが、幼馴染みと話しているうちにもっと何か違うことをしてみたいかも…と思えてきました。
しかも、仲間を集めて皆でワイワイ出来るような、サークル活動のようなことがしたいね、という話にまで発展し、ついつい話が弾みました。
具体的にどんなことがしたいか?というところですが、まずひとつ挙がったのが「登山」です。これは私が読んだことのある小説から影響を受けてのことなのですが、高山植物の写真を撮ったり頂上でコーヒーを淹れて飲んだりということがしてみたいね、と話しました。皆で達成感を分かち合うのです。想像するだけでワクワクしてしまいます。
ふたつめが「マラソン」です。実は私も幼馴染みも陸上部に所属していたので、走ることに関してはそこそこ自信があります。ですが卒業後はお互い運動らしい運動をほとんどしていませんので、最初は散歩レベルから挑戦した方がいいかもしれませんね。幼馴染みはなぜか俄然マラソンする気満々のようです。
それから、「ゴスペル」も挙がりました。母親同士が同じママさんコーラスで活動していたので、お互いなんとなく憧れのような気持ちがあるのかもしれません。
いつか、気の合う友人を集めてとりあえず何か始めてみたいなと思っている私たちなのでした。

2月 05 2015

言葉の力

年賀状に暑中見舞い、クリスマスカードなどなど、葉書を使用したお手紙を頂くことがあります。文字を書く機会が減り、手紙のやり取りも年に数回と少なくなったこともあり、この時節の葉書のやり取りというものがとても大切なことのように思えるのです。
SNSの普及により、本当に便利な時代となりました。離れていてもお互いの近況が分かり、会ったことのない人とも関わりを持つことが出来るようになりました。海外でさえも簡単に繋がることが出来ます。
ただ、この手軽さ、簡単さが、逆に人間関係を希薄にし、更には不必要なトラブルさえ生んでしまっていることは、残念なことに事実なのではないでしょうか。「いつでも連絡出来る」ということに安心してしまうのか、大切なことを伝えられない、おざなりにして放っておいてしまう等々、相手に対する接し方が軽いものになってしまっているように感じてしまうのです。結果的に、大きな事件にまで発展してしまったというケースも耳にします。気持ちのすれ違い、勘違い。なにげない一言、ささいなやり取りが相手を傷付けてしまうほどに言葉の力は大きいのだということに、気付けないということはとても残念なことです。
日本語とはとても美しく、この国独特の表現があります。それらをもっと自然に生活の中で使えたら素晴らしいのではないでしょうか。

1月 21 2015

作家さんとレーベルの相性ってあるのかな?

大好きな作家さんの本は、例え予備知識が無くても、本屋さんで見かけたらつい手に取ってしまいます。キャリアの長い作家さんであれば、それだけ既刊も多く、自分の本棚を占めている割合も多くなるのです。ふと、本棚に収まった好きな作家さんの本を見ていると、同じ出版社の同じレーベルからたくさん出ていることがある場合があります。
レーベルはあるテーマに沿って構成されているので、当然といえば当然かもしれません。キャリアが長い作家さんほど、たくさんの出版社から本を出している場合もありますが、やはり相性のいい出版社やレーベルというものはあるのでしょうか。作家さんによっては、ハッキリと偏りがある場合もあります。
それに、どこの出版社から出された本でも面白いと思える方もいれば、実は得意分野があるのか、いつものところからの本は格段に面白いという差がある作家さんもいるのです。こんなにも明らかですと、ちょっと面白いですよね。もし、発行元で大きな方針変えがあったりした場合にはどうなってしまうのでしょうか。事実、短い私の読書歴の中でも、新しいコンセプトの本がどんどん作られています。変化があることは喜ばしくもありますが、このまま面白いものを読み続けたいというかすかなジレンマもあるのです。

1月 09 2015

食べ物が出てくる小説が好き!

小説を読むのが好きです。挿絵は、あってもなくても構いません。ちょっとした隙間時間に、あるいは一日が終わろうとしている自分の部屋で活字を追うことが楽しいのです。
そんな小説にはさまざまなジャンルがありますが、最近では食べ物の出てくる小説が好きになっています。グルメ小説でなくとも、和菓子をテーマにしたものや、登場人物が食いしん坊だった場合には、自然と食べ物の出番が多くなります。
よく知られているシチューなどの料理でも、描写によってはとてもおいしそうな雰囲気が伝わってくるものです。まして、夕飯がまだのときにこんな描写に出会うと、「今夜はシチューが食べたい!」となるのです。すでにメニューを決めていても、変更してしまう場合もあります。たかが活字ですが、そこから想像を引き出すことは無限の可能性を秘めています。表現している作者もスゴイのですが、読み手の想像力も素晴らしいですよね。
食べ物の表現の他に、食事のシチュエーションや食べ方、おいしさなどにもぐっと引きつけられます。目の前にその料理があるかのように語られていると、未知の料理でも興味が惹きつけられますし、食べたような感覚になるから不思議です。料理は、たいてい幸せな気持ちにしてくれるから好きなのかもしれませんね。

12月 23 2014

ノンフィクションを読んでみる

世の中には実に様々な小説があるのですが、自分が知っている小説は本当にごくわずかだと思っています。どうしても好きなジャンルや好きな作家さんに偏ってしまい、おのずと似たような雰囲気の小説に手が伸びてしまうものではないでしょうか。
そんな中、ある一人の男性の短い生涯を記したフィクションを読んだことがあります。こういったものは普段あまり読まないので、最後まで読みきることが出来るだろうかと正直とまどいながら開いてみました。
ですが、実際に読み始めると活字を追いページをめくる手が止まらず、結局最後まで一気に読みきってしまいました。事実だからこそのリアルさ、言葉ひとつひとつの重さや切なさ、共感など、どれも深く心に残るのでした。読み終わってからのなんとも言えない達成感。一人の人間の人生って…と、感慨深いものがありました。
フィクションの良さ、ノンフィクションの良さはどこかそれぞれに違うのかもしれないけれど、読み終わってから自分の中に何か残るものがある作品こそまさに良品で、それは読み手ひとりひとり違って当然だと思います。ノンフィクションの良さを発見出来たことで、また今後選んでいく本の幅が広がったように思います。こうやって、本を通じて視野を広げていけたらいいなと感じました。

12月 02 2014

おいしいお料理を作りたい

家事の中で、お料理が苦手という方は多いのではないでしょうか。掃除や洗濯はそれなりに手を抜くことが出来ますが、お料理に関しては、「上手な手抜き」が出来ないような気がします。かと言って、手の込んだことが出来るかと言われるとそうでもなく…女性よりもお料理が得意な男性も以外と多く、料理下手としてはちょっと肩身が狭いですね。
そんな私ですが、ちゃんとお料理本を数冊持っています。今は便利な時代ですのでネットで簡単に検索出来てしまうのですが、形から入りたい私は、お料理本を片手にエプロン姿で調理するというシチュエーションに憧れるのです。
一番最初にお料理本を手にしたのは、高校生の頃だったでしょうか。物持ちの良い母が嫁入り道具と一緒に大切に持ってきたという、ひと昔前のレトロ感漂うお料理本でした。社会人になって初めて自分で買ったお料理本は、基本的な和食ばかりを集めた本で、これは大変分かりやすく重宝しました。鯖の味噌煮が思いの外上手に出来てしまい、今でも鯖の味噌煮はよく作ります。少しチャレンジ精神が育ち、お菓子作りの本も買ってみたのですが、お菓子作りって難しいですね。スイーツに関しては、買って食べよう!と思ってしまいました。お菓子作りのセンスはもう少し磨かなければなりませんね。
本を見なくても、冷蔵庫にあるもので手早くおいしいご飯を作れるようになるまで、お料理本は手放せないかもしれません。

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